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1964年(昭和39年)7月8日生まれ。蟹座でB型。
広島市出身、東京都国立市在住。 学生時代は水泳部(ちなみに100m自由形のベストタイムが60秒ジャスト)。 一番の趣味はアメリカンフットボール観戦で、1992年以来のNFLファン。好きなチームはTennessee Titans。 好きなアーティストのコンサート(Jeff Beck、MISIA、浜崎あゆみ等)に行ったり、路上ライブで見つけた若手のライブに行ったり。ピアノを始めたのも近年のマイブーム。 「希望の轍」演奏の模様はこちら。 「上からマリコ」演奏の模様はこちら。 「Voyage」演奏の模様はこちら。 ブログパーツ
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『憎悪と愛の哲学』(大澤真幸/角川書店、2017)
☆☆☆☆☆ 愛する人を憎め。日本人には、憎悪が足りないー。社会と人間をめぐる講義。 イスラーム過激派テロから、原爆投下の裏面史まで。縦横無尽な論証で社会学の最重要概念を更新する、「神」「資本主義」「歴史」をめぐる思考の冒険。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) これは、お世話になっている国立市公民館図書室で貸し借りの手続きを行なっている際、横にある新刊本コーナーで見つけて借りた本です。2016年に、NPO法人東京自由大学(神田、自由が丘)にて行った講義をもとにしているとのこと。 章立ては二つで、第一章が「資本主義の神から無神論への神へ」、第二章が「憎悪としての愛」。 前者では、パリで起きた反イスラムの抗議活動を取り上げ、それは実は、イスラム原理主義に対する(共和国の)抗議というよりは、フランス市民の間に残っているカトリックの残滓が為せたわざではないかと分析することから始まります。つまり、「普遍」(の価値観)の側に立っているようで、実は旧来の思想から自由ではなかった。 そこから、一神教の究極形態が「予定説」である以上、神の気まぐれ、いや「神の不存在」を演繹できるのではないかとする。その延長線上で、資本主義も同様に、(決して到来しない)債務の一括返済(=キリスト教で言うところの「最後の審判」)が想定されている以上、キリスト教と同一平面で論じることができるのではないかとする。 後者の方、平たくまとめれば、可愛さ余って憎さ百倍、という言葉の裏返し、つまり十二分な憎悪がまず先駆的にあって、それが止揚=回心されてはじめて、愛に結びつくのではないかということのようです。 相変わらず、大澤先生の論理展開は超・緻密ながら、順を追って説明してくれるので、必死になって後を追っていると理解できる。と言うか、この先生は、どうしてこんなことまで考えつくに至るのだろうかと感心してしまう。 タイトルに「哲学」とあるように、やや抽象的な議論です。これはこれとして、(私のような)市井の一般読者向けに、またいろいろな解説書を書いて欲しいです。 ■
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by sergeant_cooper
| 2018-02-27 06:53
| 書籍・映画
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『<世界史>の哲学 近世篇』(大澤真幸/講談社、2017)
☆☆★★★ 遅れた封建ヨーロッパの中世末期に、なぜルネサンスと宗教革命という相反する運動が同時進行したのか。 ラテン語で書かれた聖書を読めないカトリック信者のジレンマとはいかなるものか。 科学革命のハイライトともいうべき「万有引力」は、合理的思考が忌避する遠隔作用ではないのか。 西欧だけがなぜ近代へと飛躍しえたのかという謎が今、解き明かされる!(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 2009年から雑誌「群像」に連載され始めたという本著の企画、先だって「イスラーム篇」を読み、その洞察力というか論理展開力の精緻さというか、大澤先生の議論に圧倒的な感銘を受けておりました。で、続いて再び舞台は西欧に戻り、西欧近世が俎上に。 いろいろな論者が論じていますが、上記の内容紹介にあるとおり、なぜ西欧だけが、仮に西欧であったとしてもなぜそれまでの神学等との連続性に折り合いを付けて、その後の発展に至ったのかを論じておられます。 最初に、私の評点が(大澤先生の本にしては)低い☆二つ、というのはですね、この本、非常に難解なのであります。 まずもって、「政治神学」という学問分野を初めて知りました。 1)ただの政治学(王権がどうのとか、議会がどうのとか)に対し、神学の側からそれがどう位置付けられ、正当化の根拠となったか。 2)イスラームや中国の思想をベースにしてはあり得なかった、その後の西欧の近代化、市民社会は、なぜ西欧の論理(≒キリスト教)から生まれ出ることができたのか。 読んでいて、ほとんど苦痛に感じるほど難しく、読み続けるのが大変でありました。 最終章がフランス革命で終わっていますので、次の本は、私レベルの読者でもわかるような近代篇でしょうか。そう望みたいところです。 ■
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by sergeant_cooper
| 2017-10-11 08:38
| 書籍・映画
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『<世界史>の哲学 イスラーム篇』(大澤真幸/講談社、2015)
☆☆☆☆☆ 神自身が信仰を投資に例えるイスラーム教の下で、どうして逸早く資本主義が発達しなかったのか? クリスチャンの息子達を集めて皇帝の忠実な親衛隊に育て上げたオスマン帝国の「デヴシルメ」はなぜ実現可能だったのか? 法を重視し、法に徹底した情熱を注ぎこんだはずのイスラム圏で、「法の支配」がなぜ崩壊したのか?、など、イスラーム帝国の社会構造の本質に迫る。 世界史の謎を新たに読み解く壮大なシリーズ、「古代篇」「中世篇」「東洋篇」に続く第四弾、待望のイスラーム篇。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 2014年8月に、古代編、中世編、東洋編と読み、ちょっと間が空いてのイスラーム編を読みました。 過去の感想を読み返してみると、東洋と西洋の違いという興味津々の話題を扱った東洋編が大変興味深かったのとは対照的に、原始キリスト教~がテーマの古代編等は学術論文のようで難解でした。 さて、今回のイスラーム編。 結論から言うと、これまた目から鱗の大収穫でした。内容紹介にあるように、 1)商取引が盛んになって当たり前のはずのイスラーム圏が、何故西欧資本主義の遅れをとったか(今でも不適応なのは何故か)。 2)拉致してきたキリスト教徒の奴隷を育てて軍人や官僚に据えるという何とも奇妙なシステムが、何故イスラーム圏で行われたのか。 3)厳格なイスラーム法がありながら、何故イスラーム圏では、かくも軍事政権が跳梁跋扈し、法の支配が行われないのか。 どれをとってみても、すごく興味があるし、これまで誰も(=少なくとも私が読み漁った限りでは)答えてくれなかった。 大澤先生の精緻な議論には驚くばかりです。かつ、理路整然と論述が進むので、わかりやすい。上記の問いに対し、私が理解した範囲で荒っぽくまとめるとすると、 1)イスラームでは、神が一瞬々々の時間を創造していると捉えるので、結果、資本主義に必須の「永続する法人格」に否定的だった(=人間が勝手に時間を超越するのは神への冒涜)。 2)たまたまイスラームが盛んになった地域では、部族意識が高い地域ばかりだったせいで、国家や帝国をまとめ上げるには、非部族出身者を登用するのが合理的だった。 3)キリスト教においては、モーゼの律法に対し、これをいったんキリストが媒介することによって、キリスト教徒が自由に法を創造していい(=それこそが、神の意図を実現することとみなせた)となったのに対し、イスラームにおいては、その余地がなかった。 なるほど、そういう理屈がイスラームに潜在しているからこそ、今のイスラーム教国がこうあるのだと、ストレートに理解できる。 あのジャレド・ダイアモンドが、東洋と西洋との文明差がなぜ生じたのかを、コロンブスの卵的発想から鮮やかに論じ切ってみせましたが、大澤先生のこの議論も、ほとんどそれに匹敵しそう。よくぞこんなすごい先生が日本にいるものだと、あらためて感心しました。 ■
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by sergeant_cooper
| 2017-10-10 05:48
| 書籍・映画
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2017年上半期も終わります。昨年のピアノの発表会からもう半年も経ったのですね。さて、恒例の読書のまとめ。この半年の読破数は100冊を超えて102冊、1.77日に1冊というペースでした。印象に残った本は、以下のとおりです(順不同)。
<フィクション部門> 『生存者ゼロ』(安生正/宝島社、2014) 『煽動者』(ジェフリー・ディーヴァー/文藝春秋、2015) 『生か、死か』(マイケル・ロボサム/ハヤカワポケミス、2014) 『殺し屋を殺せ』(クリス・ホルム/ハヤカワ文庫、2016) 『リボルバー・リリー』(長浦京/講談社、2016) <ノンフィクション部門> 『不屈の棋士』(大川慎太郎/講談社現代新書、2016) 『三流の維新一流の江戸』(原田伊織/ダイヤモンド社、2016) 『日本会議の研究』(菅野完/扶桑社新書、2016) 『ソ連という実験』(松戸清裕/筑摩書房、2017) 『近代天皇論』(片山杜秀、島薗進/集英社新書、2017) 『野村證券第2事業法人部』(横尾宣政/講談社、2017) 『1984年の歌謡曲』(スージー鈴木/イースト新書、2017) 『カフェインの真実』(マリー・カーペンター/白楊社、2014) 『<世界史>の哲学 イスラーム篇』(大澤真幸/講談社、2015) ■
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by sergeant_cooper
| 2017-06-30 05:44
| 読書のまとめ
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『憲法の条件 戦後70年から考える』(大澤真幸、木村草太/NHK出版新書、2015)
☆☆☆☆★ 憲法をつくり直す資格が、あるだろうか―。 戦後70年、日本人は憲法を本当の意味で「自分たちのもの」としてきただろうか。集団的自衛権行使をめぐる解釈改憲を機に、博雅の社会学者と若手随一の憲法学者が、「法の支配」が実現する条件や、ヘイトスピーチ問題が社会に投げかけるもの、そして民主主義の要である議会がなぜ空転するのかを真正面から考える。 私たちの覚悟を問い、未来を展望する白熱の対論。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 大澤先生、そして憲法とくれば、あらかた読み尽くしているかと思っていろいろ探していましたら、まだありました。対談者の木村先生は、1980年生まれ。現在は、首都大学東京法学部教授という若手の先生です。それにしても、弱冠36歳にして教授ですか。 集団的自衛権の解釈改憲、そしてその背後にあるアメリカへの従属と敗戦の否認、これらは様々な論者が舌鋒鋭く指摘してきました。本著でも同様。さらに今回は、木村先生という憲法学者が加わっていることで、議論がもう少し法哲学寄り。 例えば9条の在り方を論じるにしても、「国際公共価値」からしてどうなのか、という論点を立てないと、我が国は「セルフィッシュ」な自国の利益しか考えていない。それはひいては、憲法に魂を吹き込めないであろうというふうに、社会学一般プラス法(哲)学の学際的な議論であります。 例によって、大澤「社会学」の精緻な論理展開に、このように法学が乗っている感じですので、やや一般人が読んでわかるかという観点からすると、少々論理が込み入った部分もあります。 が、自分の国の憲法ですからね。勉強しておかないことには、話にならない。 ■
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by sergeant_cooper
| 2017-04-13 05:56
| 書籍・映画
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『日本史のなぞ』(大澤真幸/朝日新書、2016)
☆☆☆☆☆ 変化に乏しく見える日本の歴史でも、一人だけ革命家は存在する。信長でも明治維新の志士でもない革命家とは誰か? イエス・キリストの革命、中国の易姓革命、日本の天皇制等、洋の東西、日本史と世界史を俯瞰しながら、社会を変える真因に迫る、大澤社会学の新たな地平。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 引き続き、大澤先生の、如何にもいわくありげなタイトルの新刊が出てましたので、もちろん、読んでみました。 「一人だけ革命家は存在する」とある。これだけ見ると、明治維新って「革命」と呼べるものではないのかとか、織田信長ら歴代の武将や有力政治家にもたくさん該当者はいるのではないかと思いますが、いずれも違う。著者が挙げるのは、何と鎌倉時代の執権、北条泰時がそうだと言う。 その理由ですが、有史以降現代に至るまで、天皇制が、陰に陽に日本の政治に影響力を持ってきていた。武家政権と言えども、朝廷には公然とは歯向かわなかったし、その反対に、その権威を利用せざるを得なかった。唯一「革命」に成功しかけた織田信長は、志半ばで倒れた。 が、この北条泰時がした「革命」とは、鎌倉幕府に介入しようとしてきた後鳥羽上皇に対して「承久の乱」を起こして対決し、勝ってしまった。そして上皇らを流罪にし、天皇を代え、京都に六波羅探題を設置して朝廷を監視下に置き、と、空前にして絶後の歯向い方をした。ただ、これだけなら単に尚武を頼むただの武将でもできることである。本当に彼を「革命家」だと言う理由は、御成敗式目を(評議の上で)制定したことだと言う。 つまり、これまでも、これ以降も、日本の政治においては中国や西欧の制度を真似て、適当にアレンジしてきたとも言えるところ、彼だけが、どこにも由来しない日本土着の「法」を体系化した。しかも、武家の影響力が及ぶ範囲のみならず、寺社等に至るまで、御成敗式目は事実上定着してしまった。 これを先生は、歴史として論じるのではなく、社会学の観点(=論理)から論じています。中国との比較では、易姓革命とどう違うのか。西欧との比較では、キリスト教/ローマ法に内在する(革命の)ロジックを辿りながら西欧の革命の有り様と比較する。そういう知的操作をした上で、我が国において本当に「革命」と呼べるのは、この泰時の御成敗式目だということです。 開陳される内容の斬新さに驚きました。こんな議論、初めて読んだ。 一体誰が、北条泰時という執権を「一人だけの革命家」と位置付けるだろうか。また、「やや長めのあとがき」でも再論されていますが、革命という「(不)可能性の臨界」とな何か、それを超える(=革命)とは何を意味するか、果たして今の我が国に当てはめて考えるとどういうことになるか、示唆に富むあとがきを残されています。 御成敗式目に、ここまで着目し、その意義を位置付け(直し)、今の我が国での政治の(不)可能性にまで言及されるとは、およそ読む前には想像もつかない議論でありました。 大澤先生のアタマの構造は、ちょっと、私なぞが及びもつかないような気がしました。 ■
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by sergeant_cooper
| 2017-03-28 06:18
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『げんきな日本論』(橋爪大三郎、大澤真幸/講談社現代新書、2016)
☆☆☆☆☆ 皆さん、お待たせしました!30万部超『ふしぎなキリスト教』でおなじみ、二人の社会学者が、痛快無比に語り尽くした「新・日本史」の登場です。 土器、古墳、ひらがな、源氏物語、日本刀、安土城、国学…。なぜ日本人は、かくもユニークな文化を生み出せたのでしょうか? 日本史にまつわるそもそもの疑問18個を真剣に議論することで、日本そのものの特異さや面白さ、現代に生きる日本人の「由来」が、どんどんわかってきます。そしてそれによって、自己を見失っていると感じる人でも、自信を取り戻して元気になれるのです!(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 橋爪大三郎と大澤真幸、今の思想界を代表する論者の二人が、またタッグを組んだ。これが(読む前から)面白くないはずがないと期待させ、実際のところ、読み進むにつれても、議論が興味深過ぎて、読み進むペースを落としたいくらいでした。 内容としては、上記にあるように、まず橋爪先生が「18個」の素朴な疑問を用意し(例:なぜ日本には青銅器時代がないのか、なぜ日本には院政なるものがうまれるのか、なぜ鉄砲は、市民社会を生み出さなかったのか、なぜ攘夷のはずが、開国になるのか等)、ぶっつけ本番で議論の「キャッチボール」(Amazonの書評子)をしています。結論ありきの解説ではないので、議論の行方によっては行ったり来たりもするし、キチンと着地?して終わらないものもありますが、逆にそれらが、面白い。 素朴な疑問、というのは、私たち日本人が学校で習った日本史が念頭にあり過ぎると、却ってスルーしてしまうようなものばかり。これらについて、社会学という(グローバル)スタンダードな視点から、どう評価を下せるのか。このユニークな観点が、この本の「普遍性」(つまり、外国人、特に発展途上国で近代化に取り組む人々)を担保している。 何よりも、繰り返しになりますが、結論は、対談してみないとわからないという真剣勝負の様子が、ありありと伝わってくるのが凄いところ。 なお、タイトルは「げんきな日本論」で、日本人にそのアイデンティティを自覚させ、という目的もあるようですが、この点だけはそう素直には受け取れない。元気になるかどうか、そういう問題ではないと思う。 「知」が眼前で生成されているのに立ち会える喜び、と言った方が、よほど大きいと思います。 ■
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by sergeant_cooper
| 2017-03-25 07:28
| 書籍・映画
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『憲法9条とわれらが日本』(大澤真幸編著/筑摩書房、2016)
☆☆☆★★ 改憲論議が盛んだ。憲法9条がその中心だが、底の浅い議論が少なくない。9条の根本義とは何か、これから日本はどうあるべきか―。 強靱な思索者たる4人が、徹底的に考える。そこには9条強化論もあれば、削除論もある。結論は異なるが、いずれも、一般に流布する「護憲/改憲」の枠には収まらない、ラディカルな9条論となっている。 いわゆる現実主義者によっては展望し得ない「この先」を提示する、未来構想の書!(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 本著は、「政府・与党によって集団的自衛権を認める解釈改憲がなされ、これに抗議する大規模なデモがまったく効力をもたなかったことを見た」後に、構想されたそうです。 大澤先生があとがきでの述べていますが、先生の立場としては、 1)彼ら(注:夏目漱石や三島由紀夫)が言ったような意味における日本の滅亡・消滅は絶対に回避しなくてはならない。このことが、我々のいささかも譲歩することのできない究極の使命であるとすれば、少なくとも、本書に提案されている案に匹敵するレベルでのラディカルな変革が必要である。 2)土俵際まで来ているこの動きを大きく転換させるには、「そんなことは不可能だ」と見えるような思い切った選択が必要だ。 3)つまり、むしろ、本書に提案されているような方法の方が現実的である。 と、4人の論者との対話を通じ、憲法学というよりも、法哲学、政治学的な観点から、パッと見には不可能と思えるほどのラディカルな案が議論されます。哲学めいてしまい、理解するのが少々難しいくらいです。ただ、徴兵制の採用といった、「パッと見」には暴論と思えるような議論でも、よく聴いてみると、平和主義を叫びながらその一方で現実は容認する(自衛隊の存在は認める)というのは、一種のフリーライドであり、許されないとする議論には、説得力がありました。 このままズルズルと、死に体になりゆく憲法9条を抱え、その一方で、9条があるがゆえに法規的に位置付けられない自衛隊を抱えるというのは、確かにおかしい。国際政治の中で、日本が主体的なスタンスを打ち出せないまま、ある種の「茹でガエル」状態になる懸念は、ごもっとも。 それにしても、4人の先生が4人の先生とも、こうまで難しい理屈があるのだと持ち出され、簡単にはいかない問題なんだと思わされました。 ■
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by sergeant_cooper
| 2016-09-12 04:51
| 書籍・映画
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『自由という牢獄』(大澤真幸/岩波書店、2015)
☆☆☆★★ 現代社会を覆う閉塞感はどこからくるのか。大澤自由論の理論的な輪郭が最もクリアに提示される本書は、単行本化が待ち望まれていた「自由の牢獄」「責任論」「〈公共性〉の条件」という三つの重要論考と、資本主義と自由をめぐる書き下ろし論文で構成。 平等や格差の問題の根底にある「自由」こそが、いま最重要の主題として論じられる。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 著者のご本はいろいろ読んでおります。一般読者向けの平易な新書(で、当然のことながらベストセラーも肯ける)もあれば、非常に難解な論文の類もありました。 果たして本著は、上記にあるように、極めて現代的な問いという興味深い設定で、なおかつ、2015年の刊行ということでトマ・ピケティの『21世紀の資本論』まで解説の範疇に入れている。期待しました。 が、ですね、本著はどうやら「後者」の類の本でして、私のような怠け者の読者が斜め読みするには、極めて難解。言い回しからして、(著者なりの、一種、哲学的な正確性を期した)ワーディングも、難解。いろいろ重要な示唆に富む本だということ以外、立ち入って理解することはできませんでした。何度も読み返して、言葉の意味を確定させながら、慎重に読み進まないと、私にはダメです。 ■
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by sergeant_cooper
| 2015-10-27 10:10
| 書籍・映画
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『現代思想の時代』(大澤真幸、成田龍一/青土社、2014)
☆☆★★★ 『現代思想』が創刊された70年代から現在まで、雑誌『現代思想』の特集・営みを補助線として、時代の流れに沿った思想・社会の推移の検証を考察する。 近代の枠組みに囚われつづけた草創期=「理想の時代」、あらゆる価値が相対化された、ポストモダンブームの80年代=「虚構の時代」、そして阪神大震災・オウム事件という、現実のリアルな物質感が回帰してくる95年以後=「不可能性の時代」。そして、3.11以後の、これからの思想の行方を考える好対談。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 本著はですね、本の貸し借りに行った国立市民公民館のカウンターから、横にある図書室のこの新刊が見えたので、大澤真幸先生の関連本として「ちょいっと」借りてみました。 内容的には、上記にあるように、雑誌「現代思想」創刊40周年を記念して行われたお二人の対談プラスαを収録したものですが、(成田先生というのは歴史学者ですが)これまた、事前勉強というか、予備知識のない私のような読者にとってはレベルが高すぎました。それこそ、「現代思想」を毎号読んでいる大学院生レベルでないと、ついていけないのではないでしょうか。 問いの立て方自体は、大変興味深く、是非聴いてみたい内容なのですが、フランスの思想史やら「カルチュラル・スタディーズ」(初めて目にした)やら、冷戦体制崩壊以降の歴史学の方法論とか、わかっていないとこの対談は読み解けません。 ということで、本自体の善し悪しというよりも、よくわからなかったということで、☆二つ。 ■
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by sergeant_cooper
| 2015-03-26 06:30
| 書籍・映画
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