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1964年(昭和39年)7月8日生まれ。蟹座でB型。
広島市出身、東京都国立市在住。 学生時代は水泳部(ちなみに100m自由形のベストタイムが60秒ジャスト)。 一番の趣味はアメリカンフットボール観戦で、1992年以来のNFLファン。好きなチームはTennessee Titans。 好きなアーティストのコンサート(浜崎あゆみ、クラシック等)に行ったり、路上ライブで見つけた若手のライブに行ったり。ピアノを始めたのも近年のマイブーム。演奏の動画は、以下です。 「片想い」 「17才」 「サイレント・イヴ」 「Honesty」 「We're All Alone」 「スター・ウォーズ」 「Voyage」 「上からマリコ」 「希望の轍」 ブログパーツ
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このブログ、時事問題については皆さんのご意見も分かれるところだと思っておりますので、愚見を投稿するのはできるだけ差し控えておりましたが、昨日付けの新聞のコラムで的を射たものがありましたので、紹介かたがた、私見を申し述べてみます。
[25日付け朝日新聞:天声人語] 「「信なくば立たず」は孔子の言葉である。政治が民衆の信を失えば世の中は崩れる。ずばりと突くだけに座右の銘にする政治家は多く、元首相の三木武夫氏は好んで色紙に揮毫(きごう)した。小泉純一郎元首相もよく口にした。 食糧よりも軍備よりも、治世に大切なのは「信」だと孔子は言ったそうだ。その「信」がやせ細り、立つ瀬もなくなった政治のさまが、本紙の世論調査で浮かび上がった。政治家を「信用している」という人は18%しかいなかった。 うち17%は「ある程度は」という留保つきだ。きっぱり信を置く人がたった1%とは、乱世を生きた孔子先生もあきれ顔だろう。そればかりか官僚への信用度も、政治家と同じ数字に沈んだ。政と官。「公」の屋台骨を支える両者が、枕を並べて討ち死にの体である。 政官のやることなすことが、失望を招いてきた。大きいのはやはり年金か。「最後のお一人まで」と見えを切った前首相はとうに去り、懺悔(ざんげ)や謝罪は風の便りにも届かない。信じなければ欺かれることはない。むなしい処世を政治が広めたとしたら、罪なことである。 言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと、作家の徳富蘆花(ろか)は書いている。火薬がなければ弾は通らない。つまり相手に届かない、と。福田首相は日々に火薬を減らすのか、「他人事(ひとごと)節」は、ますます遠い声になる。」 … 日銀総裁人事、暫定税率問題、道路特定財源の一般財源化、年金記録の照合、いずれも期限(=年度末)が決まっていてずっと以前からわかっていた問題ばかりなのに、その期限を迎えていまだにこの体たらくとは一体どういうことなのでしょうか。 もちろん与野党双方にも前からの持論があって、そう簡単には折り合いは付けにくい問題だったとは思います。また、特に民主党は「政局」に持ち込みたい野心もあるでしょうからなお一層、問題がこじれてしまいました。これでまた、参院否決&衆院再可決なんて手法が使われるようなら、安倍政権時代の強行採決路線と何ら変わるところがありません。 私は、やはり喧伝されているように、何よりも福田首相のリーダーシップが見えてこないのが非常に問題だと思います。衆院を解散すれば「郵政選挙」で獲得した虎の子の議席が激減するのは火を見るのよりも明らかでしょうから、伝家の宝刀も使いようがないのはわかります。が、ここまで国政が混乱した現在、そんな「虎の子」を後生大事にしている場合でしょうか。別に解散せよ、と言っているわけではありません。与党も「失うものは何もない」(支持率の通り!)との覚悟で臨むべき時だと思います。 付言すれば、我が国の議会政治には「党議拘束」なる習慣がありますが、あれも時と場合によっては一考を要するのではないでしょうか。マニフェストを掲げ全党挙げて打ち出した政策に議員が従ってもらわないと困るのは理解できますが、政策協議も進まないほど行き詰まった国会で、なお半年以上も前のマニフェストにこだわっている場合でしょうか。国会議員は全国民の代表で、党の手足ではありません。事ここに及ぶようなら、いっそ党議拘束なし、超党派オーケーくらいの大きな土俵で、政治家一人一人の信念に従い国政を動かしてもらいたいものだと思います。 *** [25日付け読売新聞:編集手帳] 「私立探偵フィリップ・マーロウが依頼主に語る。「尾行には最低六人が必要というのが常識になっているのです。…大都会なら十二人です」。 レイモンド・チャンドラーの代表作「プレイバック」(清水俊二訳、早川書房)のひとこまである。相手がホテルやデパートに立ち寄れば、何か所もある出入り口を押さえねばならないからだという。 顔や服装を承知している尾行においてさえ、それだけの人手が必要だとすれば、人込みの駅で、相手の着衣も知らず、2年前の顔写真を頼りに容疑者を張り込む捜査員は、どれほどの数が必要だろう。 茨城県土浦市のJR常磐線「荒川沖」駅の構内と駅前で、殺人事件で指名手配中の男が通行人に刃物を振りかざし、8人を殺傷した。駅では8人の私服警察官が男を警戒していたが、凶行を防げなかった。 「人員的に問題はなかった」という捜査幹部の発言が報じられている。髪形を変え、眼鏡で変装した男は、捜査員の前を素通りした。憎むべきは、ただ居合わせただけの人命を奪い去った犯人だが、県警の弁明も「ああ、そうですか」と聞き流すことはできない。 変装を見破る目には質のみならず、量も欠かせないことは張り込みの常識だろう。「常識が何かいうのは、いつも手おくれになってからだ」。マーロウのせりふがむなしく響く。」 … 一刑事事件の捜査手法の問題ですが、これだけ再犯が危惧され、しかも当の荒川沖駅が危ないと判断されている状況で、 1)警官が持たされていたのは「携帯電話」ですって!?イヤホンマイク式の無線装置はなかったの!?今時、カフェの店員でも付けてますよ。私服の人員数はともかくとして、即応体制に重大な不備ありだと断じます。 2)凶行が予見される(かも知れない)状況で、狙撃チーム等の武装班の配備はなかったのでしょうか。同列に論じるのもどうかとは思いますが、欧米では常識でしょう。防げたかも知れない凶行に倒れたご遺族の心境を思うと本当にやり切れません。
by sergeant_cooper
| 2008-03-26 00:29
| 時事問題
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