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1964年(昭和39年)7月8日生まれ。蟹座でB型。
広島市出身、東京都国立市在住。 学生時代は水泳部(ちなみに100m自由形のベストタイムが60秒ジャスト)。 一番の趣味はアメリカンフットボール観戦で、1992年以来のNFLファン。好きなチームはTennessee Titans。 好きなアーティストのコンサート(浜崎あゆみ、クラシック等)に行ったり、路上ライブで見つけた若手のライブに行ったり。ピアノを始めたのも近年のマイブーム。演奏の動画は、以下です。 「片想い」 「17才」 「サイレント・イヴ」 「Honesty」 「We're All Alone」 「スター・ウォーズ」 「Voyage」 「上からマリコ」 「希望の轍」 ブログパーツ
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『丸山眞男の敗北』(伊東祐吏/講談社選書メチエ、2016)
☆☆☆☆☆ 丸山眞男は、戦後日本を代表する政治学者として名を轟かせ、今も多くの人に読み継がれている。日本が敗戦を迎えた直後に発表した論文「超国家主義の論理と心理」で天皇制の精神構造を批判して華々しく論壇に登場した丸山は、「戦後民主主義」を象徴する存在となった。本書は、没後20年を迎えた不世出の学者の全容を、これまでになかった視角から解き明かそうとする野心作である。 本書のキーワードとなるのは「丸山眞男の哲学」である。政治学の著作で知られる丸山だが、その本領は日本思想史にあった。一見、直接の関係を見出しにくい両者を一貫して支える丸山の原理を、著者は「哲学」という言葉で表現し、追求していく。 その原理を踏まえながら、丸山の代表的な著作を通覧していく本書は、最良の入門書・概説書としても読むことができるが、そうして愚直に作品を「読む」ことで明らかになる結論は、まさに驚愕をもたらすものである。政治学者としての丸山眞男は、1960年にはすでに「敗北」していた。 戦死者の亡霊がそこかしこに漂っているのを意識しながら戦後を開始した丸山は、やがて日本が目覚ましい復興と成長を遂げ、様々な意味で余裕を獲得した結果、人々の関心が経済や私生活に移っていくにつれて、闘志や焦燥感を失っていった。 その結果、政治的な言論活動に対する意欲を失い、40代半ばにして半ば隠遁するように日本思想史研究に沈潜していく。しかし、それはひとり丸山の「敗北」であるだけでなく、他でもない「戦後民主主義」の「敗北」である、それが著者の結論となる。(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 著者は、1974年生まれ。巻末の略歴には、早稲田大学教育学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程修了とあります。また、あとがきでは、本著は2005年から2007年にかけて執筆した未発表の論文をもとに、2011年の博士論文として名古屋大に提出し、今回あらためて編集・加筆したとのこと。 図書館の新着本リストで、少々刺激的なタイトルのこの本を見つけ、本当の興味本位で借りてみました。他のいろいろな論者(現代思想系)が、かなり丸山眞男を批判的に書いていたので、そういうものかと思っていた程度です。丸山眞男自身の著作なんて、難し過ぎて手が出せない。 で、結論から言って、肝心の丸山眞男を読んだことがない私には、確かに少々難しい「論文」ではありましたが、堂々の☆五つものだと思います。これまで、思想系のバリバリの研究者というと、佐伯啓思、内田樹、大澤真幸、白井聡、橋爪大三郎といった先生方にすっかり感心していましたが、勝るとも劣らない。 内容的には、少々長く引用した上記の内容紹介のとおりなので繰り返しませんが、「おわりに」で書かれていることを、これまた長くなりますがそのまま引用します。 「丸山眞男は、戦中の思想弾圧に耐え、終戦後は民主主義の理解と実践を説き、戦後日本のあるべき姿を示した。戦中・戦後の一時期には身の危険を感じるほどの逆境にも遭遇したが、社会の動向や国家の圧力に臆さず、意見の衝突が社会の進歩や自由を導くという「相対の哲学」の信念を持って、果敢に戦った。丸山の歩みは、戦後民主主義の歩みであり、戦後日本の歩みである。 しかし、戦後日本の歩みが民主主義や自由を獲得した「解放」と「独立」の歴史であるとともに、アメリカへの「従属」の歴史であることは明らかであり、さらに言えば、私たちが豊かな生活を優先して「従属」を受け入れたことは疑いようがない。その際、戦後民主主義者たちは、民主主義の理念を説き、反対運動を起こし、反動勢力との対決に躍起になるなかで、私たち自身が民主主義や自由や独立をおろそかにして豊かさを選んだという事実から目をそむけてきた。 つまり、戦後民主主義者の代表的な存在である丸山眞男は、実は、私たちの戦後の本当の姿を偽り隠してきた張本人である。また、それは戦後民主主義を主導した革新派の論者に限らず、保守派の論者も同様であり、両者は理念はプライドを掲げるばかりで、戦後日本の実態を認めようとしない点でまったく変わりがない。丸山は、その象徴的な存在と言えよう。 これこそが思想家としての丸山眞男の敗北であり、戦後日本の敗北である。」 丸山は、日本思想史研究者としてスタートした原点から、日本固有の思想がないことを批判し、開国が不徹底で、言わばその場しのぎの和洋折衷だったことが問題だとする。日本には体系的な思想がない。また、戦中戦後に紙一重で命拾いをした悔悟の念が、獄中死、戦死していった同僚への弔い合戦となってしまい、終戦直後に得た輝かしい「自由と民主主義」を守り、次世代に伝えていくことこと使命だと感じた。 著者に言わせれば、それがそもそもの誤りであり、日本固有の思想や不徹底な開国云々するのではなく、この国はそういう在り方をしてきたのだと正面から受け止めるべきだと主張する。また、戦後の熱狂的な民主主義「熱」等、所詮同時代人にしかわからないもの。これをそのままの状態で、「豊かさ」を選んだ次世代に受け渡すべきなど、(私の言葉で言えば)「上から目線」も甚だしい。死者に報いるとは言っても、それは所詮丸山の個人的な悔悟の念であり、死者は死者として死なせてあげるべきだ。 著者は、丸山にまとわりつく(丸山自身の諸々の個人的で)異質な要素を排除し(=つまり、これによって丸山は敗北宣言を受けたことになる)、今、目の前にある現実を臆せず受け止めて認めることから、戦後の脱却が始まるのだ、と言いたいようですが、確かになるほどと思わせる。白井聡の「永続敗戦論」にもつながる議論ですが、著者は白井さえも検討の遡上に載せた上で議論しているので、その分新しく、包括的とも言える。 よくぞこれが、大学院の中に眠る博士論文ではなく、堂々と本の形で世に出てくれて良かった、と思います。
by sergeant_cooper
| 2016-10-13 05:51
| 書籍・映画
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