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プロフィール
1964年(昭和39年)7月8日生まれ。蟹座でB型。
広島市出身、東京都国立市在住。 学生時代は水泳部(ちなみに100m自由形のベストタイムが60秒ジャスト)。 一番の趣味はアメリカンフットボール観戦で、1992年以来のNFLファン。好きなチームはTennessee Titans。 好きなアーティストのコンサート(浜崎あゆみ、クラシック等)に行ったり、路上ライブで見つけた若手のライブに行ったり。ピアノを始めたのも近年のマイブーム。演奏の動画は、以下です。 「片想い」 「17才」 「サイレント・イヴ」 「Honesty」 「We're All Alone」 「スター・ウォーズ」 「Voyage」 「上からマリコ」 「希望の轍」 ブログパーツ
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『戦火のシンフォニー』(ひのまどか/新潮社、2014)
☆☆☆☆☆ 極限状況下、それでも演奏をやめなかったオーケストラの、魂の物語! 1942年、ナチスドイツに完全包囲され、全てのライフラインを断たれたレニングラード。砲弾の雨、強奪、凍死、餓死、人肉食…。想像を絶する地獄絵図の中で、ショスタコーヴィチの交響曲第7番を演奏する人たちがいた!なぜそこまでして?何のために? 平和を愛する全ての人に贈る、驚愕と感動の記録!(以上、出版社の内容紹介より抜粋) 著者は、東京藝術大学卒業後、ヴァイオリンのソリストとして活躍した後、執筆活動に入り、主に作曲家の伝記を執筆している方。何と本著のためにロシア語を一から勉強し、2010年から、当時の生き証人へのインタビューや膨大な資料収集を重ねて完成に至ったとのこと。 レニングラード包囲については、最初はハリソン・E・ソールズベリーの『燃える東部戦線』(ハヤカワ文庫、1978)で、最近は『攻防900日 上・下』(早川書房、1969)でも詳細を学びました。この本を前にして、日本人ライターの独ソ戦の戦記物なんて、という気持ちもありましたが、ショスタコーヴィチの第7番関連ということもあり、読んでみました。 読み始めて、これは全く新しいレニングラード戦記だ!と感嘆しました。市民が包囲下の砲爆撃の中で飢えや寒さに苦しんだことは知っていましたが、楽団員や指揮者も例外ではなかった。前線に志願したり、銃後で働いたり、そんな中で倒れていく人が続出した。しかし疎開前にショスタコーヴィチはこの第7番を書き始め、祖国、いやレニングラードの街に捧げた。旧ソ連での初演については、環境が恵まれていた疎開先のクイブィシェフで、ショスタコーヴィチ立ち会いの下で、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルに先を越されてしまった。しかし当の楽団員たちには(包囲されていることもあって)そんな情報も入ってこない。しかし、地区党責任者ジダーノフ直々の命令で音楽活動は(細々とであれ)続けられていた当地では、ラジオ委員会芸術監督の大きな働きもあって、ショスタコーヴィチのスコアを取り寄せ、「レニングラード初演」に向けての必死の努力が始まった。 こう振り返るとまだどうと言うことのないように思うかも知れませんが、前線から戻ったり、栄養失調で苦しんでいたり、急に補充されたりした楽団員にとって、元の感覚を取り戻すことだけでも一大事。そして、初めて見る大編成の第7番。しかも届いたのは総譜のみでパート譜がない。2,000小節以上もある楽譜を、手作業で、二週間かけてパート譜に写し替えたとは!指揮者のエリアスベルク(弱冠34歳)も、当初は、あまりの環境の厳しさに「無理だ」と言って固辞するが、当の芸術監督の強い働きかけに折れ、猛特訓を開始する。さらに市の防衛軍の指揮を執る砲兵将校は、当日に会場に一発の砲弾も落ちてこないよう、ドイツ軍陣地に対して先制猛砲撃を加える。そして迎えた初演、一体どれほどの想いがこめられていたことだろう。想像もつかない。 この本を読んで、「壮大なる愚作」と評されることさえある第7番を見る目が変わりました。決して上辺だけで捉えられるべき作品ではないのだ。 包囲網にいて、捕虜になったドイツ軍兵士の話が紹介されています。「我々は塹壕の中でいつもレニングラードの放送を聞いていたが、一番驚き、戸惑ったのは、フィラルモニーやスタジオからの音楽放送だった。もし町が、このとてつもない状況の中でクラシック音楽のコンサートをやれているのだとしたら、一体ロシア人はどれだけ強いんだ?そんな敵をやっつけることはとうていできない、と思い、恐ろしくなった」。レニングラードの音楽は、あの芸術の都の、正に誇りと意地であったのだ。
by sergeant_cooper
| 2014-09-27 05:53
| 書籍・映画
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